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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和47年(行コ)2号 判決

控訴人 稲生貞之

被控訴人 魚津税務署長

訴訟代理人 服部勝彦 外四名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

(申立)

控訴人は控訴の趣旨として

「原判決を取消す

被控訴人が昭和四三年五月一五日付を以て控訴人の昭和四〇年度分所得税について総農業所得額を金一、〇九一、五〇〇円、所得税額を金一三〇、五〇〇円、過少申告加算税を金五、八〇〇円とした更正処分はこれを取消す

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」

旨の判決を求め、被控訴人指定代理人は、

「本件控訴を棄却する

控訴費用は控訴人の負担とする」

旨の判決を求めた。

(主張並証拠)

当事者双方の事実上法律上の主張、提出した証拠方法、相手方提出の書証の成立に対する認否は、控訴人において別紙甲「控訴人の主張」のとおり、被控訴人指定代理人において別紙乙「被控訴人の主張」のとおり、それぞれ附加陳述し、互いに相手方主張事実中従前の自己の主張に反する部分を争つた外は原判決事実摘示欄記載のとおりであるから、右記載をここに引用する。

理由

当裁判所も被控訴人が控訴人の昭和四〇年分所得税として昭和四三年五月一五日に控訴の趣旨記載の如き(再)更正処分をなしたのは相当であつて何ら違法の点はないと認めるものであり、その理由は左記に附加する以外は原判決理由欄記載のとおりであるから、右欄の記載をここに引用する。

一(1)  いわゆる「耕作人台帳」について

控訴人は本件課税処分の基礎となる控訴人の耕作面積認定の資料としては、控訴人居村舟橋村役場備付のいわゆる「耕作人台帳」によるべきであると主張する。しかしながら右「耕作人台帳」記載の耕作面積の正確性については、之を証明すべき資料がないのみか、却つて〈証拠省略〉によると、右耕作人台帳記載の耕作面積は政策的考慮から可成り圧縮された数字が記載されて居り正確でないことが認められるので、右耕作人台帳記載面積に拠るべきものとする控訴人の主張はにわかに採用し難いものである。

(2)  被控訴人主張の耕作面積の誤まりについて

控訴人は被控訴人主張(原判決別表(二))の控訴人耕作面積には誤まりがあると主張しているが、控訴人の原審での供述中その趣旨の部分は〈証拠省略〉に照し措信しない。控訴人提出の〈証拠省略〉はその成立を認むべき資料がない。その他、控訴人の右主張事実を認むべき証拠はない。

二(1)  春光名義の農協預金の払戻について

控訴人は春光名義の農協預金の払戻は常に春光の指示に基いてやつて居り、控訴人の独断でこれを引出したことはない、と主張し、控訴本人、並証人稲生春光の原審での各供述中にはその趣旨の部分がある。

しかしながら右証人稲生春光の供述内容を検討すると、右預金払戻の明細につき名義人の春光自身が答弁できぬ部分が多々あるので、右稲生春光のこの点に関する供述、ひいてはこれと同旨の控訴本人の供述はにわかに措信し難く、むしろ〈証拠省略〉により認め得る、控訴人、貞吉、春光の各口座から同日に預金払戻のなされている事実、春光の弟の貞吉も同様預金運用を控訴人に任せていたため本人でははつきりわからない面もある事実、を総合するときには、春光名義の預金の運用も控訴人の支配下にあつたものと認めるのが相当である。

(2)  万雑費について

訴外稲生春光、同貞吉の両名が昭和四〇年分の万雑費を支払つていないことは〈証拠省略〉に照し明白である。被控訴人は右万雑費は世帯単位で課せられるものであると主張しているが、〈証拠省略〉によると、右主張と合致しない例(一の楓チヨと塩原タヨとの例)の存することも認められるし、〈証拠省略〉によりわかるように元々方雑費が農村部落の旧来の慣行に基き課せられていることを考えると、果してそれが単純な世帯単位で課せられていたか否かは疑わしく、また、旧来の慣行上の「家」の観念もそこに混入していたのではないかとの懸念もある。それ故、春光、貞吉が方雑費を支払つていなかつた一事を以て、同人らを控訴人の世帯員と断定することはできないが、右事実を他の原審認定事実と総合して、同人らを控訴人の世帯員と認定することは妨げないものと考える。

(3)  その他村の交際関係について

控訴人は昭和四〇年末以来、春光、貞吉は村の一戸当りの寄附金を出していると主張するが、これを認むべき証拠かない。〈証拠省略〉の各内容が真実としても、それは昭和四三年当時のことを認め得るに留まり、昭和四〇年中に同人らが寄附金を出していたことを認めるに足らず、他に控訴人主張事実を認むべき証拠はない。

三  春光、貞吉の関与した経営の主体を隆吉と認むべき可能性について

控訴人は隆吉が富山市へ転居した后も同人所有農地に関する農業経営につき隆吉を主体と解する可能性があると主張する。隆吉が転居前に右経営の主体として右経営体のため資材肥料等を買入れ種々の作業をしたことは認められるとしても、(原審証人稲生隆吉の証言)同証言一部によると同人は収獲前の転居に際し、かかつた経費だけを貰つて経営を後継者に引継いだことが認められるから、右年度における右経営体よりの所得が同人に帰属するはずがない。抗告人の当審での主張三の(ロ)(ハ)の事実があつたとしても、右の結論を左右するに足りない。(而も証人稲生隆吉の証言によると、(ロ)の水稲掛金は隆吉不知の間に同人の預金より差引決済されたものと認められる。)

〈証拠省略〉によると、昭和四一年六月二〇日付で右隆吉、春光、貞吉らが提出した農地法第三条による許可申請書に、本件土地の耕作者として隆吉の名が記されていることが認められるが、右は従前隆吉の自作地として農地委員会等に届出られたままになつていたため、右公簿上の記載にしたがつたに過ぎず必ずしも現実の耕作状態を伝えるものではないと解せられる。それ故右隆吉を昭和四〇年における本件農業経営の主体と考えることはできない。

四  控訴人の自白の撤回について

控訴人は当審において控訴人の主張四、のとおり陳述している。控訴人は原審においても右のとおり陳述したと主張するか、原審準備手続調書口頭弁論調書を精査してもかかる陳述のなされた形跡はなく(註、控訴人提出の昭和四四年一一月三日受付陳述書、記録八一三丁は未陳述に終つている。)、却つて原審第一〇回準備手続調書添付の要約調書によると、控訴人が「仮に原告が昭和四〇年に春光、貞吉の土地をも耕作したとすれば原告の農業所得一、四二九、〇〇〇円、差し引き所得一、〇九一、五〇〇円となることは認める」旨陳述したことを認め得る。それ故控訴人の当審での右陳述は自白の撤回とみるべきである。(そして被控訴人の主張三並弁論の全趣旨に徴すると、右自白の撤回については被控訴人の同意があるものとは見られない。)しかしながら控訴人の原審における右自白の内容が事実に反することの立証がないから、右自白の撤回は効力がなく、前記自白の拘束力は維持される。なお前記同意があるものと認められるとしても自白撤回にかかる当該事実は〈証拠省略〉並弁論の全趣旨により肯認でき、これをくつがえすに足る証拠もない。

然らば控訴人の本訴請求は失当であり、これを排斥した原判決は相当で本件控訴は理由がない。よつて民事訴訟法第三八四条、第八九条、第九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 三和田大士 夏目仲次 山下薫)

別紙甲 控訴人の主張

一(1)  被控訴人認定の控訴人耕作面積は誤まつている。控訴人居村役場には「昭和三八年以降耕作反別等関係綴」なる台帳(耕作人台帳)があり、右記載の耕作面積は毎年各部落の生産組合長が調査の上、村役場に届出た処に基き村長が認定したもので農業経営者のすべてが納得した権威ある数字であり、従来村も被控訴人も右数字に基き課税してきた。控訴人も昭和三八年乃至四三年の間、右耕作面積に基き申告してきたところ、他の年はいずれも申告どおりに確定したのに本件の四〇年と四一年のみ更正処分を受けたのは不当である。被控訴人はすべからく、本件(昭和四〇年分)についても前記耕作人台帳記載の耕作面積(田二町一反、畑二畝)に基き課税すべきである。

(2)  被控訴人主張(原判決別表(二)の控訴人耕作面積(四町九反三畝歩)(〈証拠省略〉記載)は、訴外春光、貞吉の耕作地を含んでいる点を除いてもなお左記の誤まりがある。

(イ) 訴外市川正行の自作地を控訴人受作地と誤認している。

(ロ) 訴外森重作所有、同森ヨシイ耕作地を控訴人受作地と誤認している。

(ハ) 控訴人所有、訴外高畠漠明、荒井隆治、竹島建之助、松田秀雄、松崎隆明、太田五三郎、田中米次郎各耕作地(〈証拠省略〉参照)を控訴人耕作地と誤認している。

二(1) (イ) 春光は出稼の際預金通帳を控訴人に預けたことはあるが、引出は必らず春光の指示に基いてやつている。

(ロ) 右預金に関し控訴人の印を用いたのは通帳紛失届の際のみであり、控訴人の印鑑で払戻を受けたことはない。

(2) (イ) 舟橋部落の万雑費(特に耕作反別制)は必ずしも耕作者名義で納入されるとは限らず、万雑費の代納の例もあるから万雑費を納めていないから耕作者でないとはいえない。(尤も同人らは方雑費を納めている。)

(ロ) 又、万雑費中の面割は世帯単位のみで課せられるものではなく、世帯主でも家屋を所有しないものには課せられない。それ故、春光、貞吉が面割を課せられなかつたとしてもそれは同人らが家屋を所有しなかつたためで同人らが世帯主でない証拠にはならない。

(3)  春光、貞吉は昭和四〇年以来、一戸当りの寄附金を出している(〈証拠省略〉参照)し、舟橋村報等の村からの配り物も同年春以来受けてきて居り、独立世帯としての交際をしている。

(4)  よつて春光、貞吉は控訴人の世帯員とみるべきではない。

三 仮りに昭和四〇年中の春光、貞吉自身が独立の農業経営主体と認められぬ場合でも、同人ら農業経営方針を指示した者は控訴人ではなく、同人らの兄の隆吉とみるべきである。何となれば、

(イ) 右隆吉は春光、貞吉の関与した農業経営につき同年度の水稲の種子や苗代の温床紙、肥料を買入れている。又、自から苗代作業を行なつている。

(ロ) 昭和四〇年度の水稲共済掛金は隆吉転出后の昭和四〇年八月二日に同人の通帳により支払つている。

(ハ) 又、春光、貞吉が使用した農機具一切は隆吉所有のものが無償貸与されたものである。

(ニ) 右農地に対する賃借権設定についての農地法第三条による許可申請書〈証拠省略〉にも、右農地の所有者耕作者として隆吉の名が記されている。

よつて隆吉が富山市に転出した后も、なお同人を係争地の耕作者と認むべきである。

四 被控訴人主張事実のうち「仮に控訴人が昭和四〇年に春光、貞吉の土地をも耕作していたとすれば控訴人の農業所得が一、四二九、〇〇〇円、差し引き所得一、〇九一、五〇〇円となること」は否認する。控訴人は原審においても右主張事実を争つていたものである。以上

別紙乙 被控訴人の主張

一 所得税法第一二条の適用上、事業から生ずる収益を享受する者はだれであるかは、だれの労働によつて収益が獲得されたかの問題ではなく、だれの収支計算の下において換言すれば、だれがその事業の経営主であるかによつて判断されるべきものである(所得税法基本通達一二-二参照)。

今日わが国において、農業所得の獲得は、家族労働によつて支えられていることが多いが、もとよりこのような場合でも、労働の提供の割合によつて農業所得の帰属を決めるべきものではたく、農業の事業主はだれであるかによるべきであつて、それには、家族内の諸般の事情を総合勘案して、その農業の経営方針の決定について支配的影響力を有すると認められる者がだれであるかによつて専ら判断されるのである。そしてその支配的影響力を有すると認められる者がだれであるか必ずしも明らかでないときは、一般に家計の主宰者はその主宰者としての責任上家族労働によつて獲得された収益の全般的な収益権を家族構成員から容認されていると考えるのが、わが国の実情に沿う経験則であるから、家計の主宰者をもつて農業の事業主と判定されるべきである。そこで例えば、親と子がともに農耕に従事している場合には、子が相当の年令に達し独立の生計を主宰するに至つたと認められるなど特段の事情のない限り、その農業の事業主は親であると判定するのは実質所得者課税原則の至当な適用であるとしなければならない(同通達一二-四)。

二 本件事実関係は、原判決理由中認定のとおりであつて、なんら疑念を入れる余地はない。

それによれば、係争年中、春光は年の半分を売薬の行商に従事していたといえ、貞吉とともに、控訴人の主宰する家計の下にこれと消費生活を共通にしていたのであり、その消費生活を支える本件農地合計四町九反三畝歩の耕作に相協力しまたは補助しあつていたと推論するのもまことに自然であつて合理的な解釈である。

控訴人の主張と立証を総合すると、春光において、控訴人から舟橋村東三番一二四四番などの田地を借り受け〈証拠省略〉、田中幸二らから立山町泉一一八九番などの田地を独自の出捐をもつて買受け〈証拠省略〉、隆吉から舟橋村川田一三三番などの田畑を借り受け〈証拠省略〉、貞吉において、隆吉から舟橋村中田三〇番の一などの田畑を借り受け〈証拠省略〉、各々他の家族員から干渉を受けることなく孤立した独立の収支計算の下に農耕を営み、更には、各々その収益から自らの消費生活の費用分を計算して家計に納入していたというのであるが、その立証自体随所に破綻が見られるばかりでなく、春光が二六才で、貞吉が一八才のいずれも独身の男子であつて、同一の家屋内で日常の起居を共にする実の親兄弟であつたことなどを考慮すると、通常の農村家庭を前提とする限り、到底想像のできないことであつて、虚構の事実であると断ぜざるをえない。

三 以上のように、春光と貞吉が耕作していたとされる田畑より生ずる農業収益が、実質所得者課税原則の適用上、控訴人に帰属するものである。そして控訴人は原審において、「仮に控訴人が昭和四〇年に春光、貞吉の土地をも耕作したとすれば、原告の農業所得金額は事業専従者控除額差引き後で、一、〇九一、五〇〇円となる」というのであるから、本件再更正決定の課税標準の認定には何らの違法はないこととなる。

よつて本件控訴の棄却を求める。

〔参考〕第一審判決

富山地裁昭和四二年(行ウ)第六号課税処分取消請求事件 昭和四七年五月二六日判決

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

(原告)

被告が昭和四三年五月一五日付をもつて原告の昭和四〇年度分所得税について、総農業所得額を金一、〇九一、五〇〇円、所得税額を金一三〇、五〇〇円、過少申告加算税を金五、八〇〇円とした更正処分はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

(被告)

主文と同旨。

第二当事者の主張

(原告の請求の原因)

一 原告は農業を営む者であるが昭和四〇年分の原告の農業所得金額は四六七、五〇〇円、課税所得金額は一五三、五〇〇円、所得税額は一三、二〇〇円であつたので、昭和四一年三月一五日被告に対しその旨の確定申告をしたところ、被告は原告の右所得に原告の六男稲生春光、八男稲生貞吉の各所得を加えたものが原告の所得であるとしてその所得額を一、三〇〇、九〇〇円、所得税額一三七、六〇〇円(うち過少申告加算税六、五五〇円)と更正した。原告は昭和四一年五月一五日頃右更正の通知を受けたが不服であつたので同年六月一七日被告に対し異議申立をしたところ被告は右申立を棄却し、原告は同年九月一八日頃右申立棄却の通知を受けた。原告は右処分に不服であつたのでさらに同年九月二六日金沢国税局長に対し審査請求をしたが右請求は棄却され、昭和四二年四月八日頃原告はその旨の通知を受けた。

昭和四三年五月一五日頃、被告は税額の計算などに誤謬があつたとして、所得金額一、〇九一、五〇〇円、所得税額一三〇、五〇〇円、過少申告加算税五、八〇〇円と更正し、その旨原告に通知した。

二 よつて、原告は、被告が稲生春光、同貞吉の各所得をも原告の所得として課税した昭和四〇年分所得税の更生処分は不当であるからその取消を求める。

(請求原因に対する被告の答弁および主張)

一 請求原因一の事実は認める。

但し、昭和四一年五月一五日頃なした所得金額の更正額は一、二〇四、〇〇〇円、右の税額は一四四、二五〇円、過少申告加算税は六、五五〇円である。

二 被告が原告に対して昭和四三年五月一五日に更正した昭和四〇年分の所得額一、〇九一、五〇〇円は次に述べるとおりすべて原告に帰属するものであり稲生春光、同貞吉に帰属するものではない。

ところで昭和四〇年における原告方の家族構成は別表(一)のとおりであり、同年における原告方の耕作面積は別表(二)のとおりである。

原告は春光、貞吉がそれぞれ独立の農業経営主体である旨主張するが春光、貞吉らはいずれも有無相助けて原告と生活の資を共通にしている同一世帯内の家族員にすぎず、原告はその家族員に対する監督ならびに家庭生活全般に対して統括すべき責任ある地位にあり、そのうえ経済面にあつても原告方の生計の主宰者であつた。従つて原告が農業の全般に対してこれを主宰し農業経営の方針決定をなし、現実に農業に関する収支計算の主体としてその経営を担当していたものであり、春光、貞吉らは原告の経営する農業に従事していたものである。なお原告は夏光、貞吉が隆吉の農業を引き継いだ旨主張するが、実質的に引き継いだのは原告である。以上は次の事実からも明らかである。

(1)  原告は住民登録上の世帯主であり高光、貞吉はその同一世帯員として原告と起居を共にし、炊事設備も一にして生活上、事業上の物資購入も区別しておらずすべて原告の預金通帳、購入通帳で決済されていることなど生活を一にしている。従つて原告所在の舟橋部落の区長や近傍村民らはいずれも原告のみを耕作者として、また世帯主として扱い、昭和四〇年度の万雑費(農村における世帯単位の交際費、都会におけるいわゆる町会費に当る)も原告のみを対象として徴収しており、春光、貞吉は原告と同一世帯員として扱つている。

なお原告は春光、貞吉が隆吉の農業を引き継いだ旨主張するが、仮に引き継いだとしても、春光、貞吉は原告と生計を一にする世帯員であるから、同居親族の一員が他から耕作の引き継ぎをなしたとしても、その農業世帯の主宰者としてその農業経営に支配的影響力を有する者が原告である以上は、原告を農業経営者として認めるものであつて、従つて原告が実質的な引き継ぎ者となるものといわなければならない。

このような考えはひとり税法のみならず農業の基本法である農地法においても「世帯」を中心として処理してゆくこと(農地法二条参照)によつても明らかである。

(2)  春光、貞吉は各自農機具を所有せず、また昭和四〇年中には農業協同組合員でもなく、組合に出資もしていない。原告のみが五一口の出資をしている。

原告方には馬一頭、耕転機一台、原動機二台、籾摺機一台、脱穀機一台、乾燥機一台、リヤカー三台等の農機具があるが春光、貞吉の所有ではない。

(3)  耕作者名義、米穀売渡名義は春光、貞吉名義でなされているものもあるが、これらは単に形式上にすぎず本人の申告により容易に変更できる。

昭和四〇年当時には貞吉の耕作名義はなかつた。(なお、昭和四一年七月五日に至つてはじめて隆吉名義の農地に賃借権を設定して春光、貞吉の耕作名義にした。)

(4)  農協預金は、春光、貞吉名義の口座があるけれども、同一家族員であれば自前に預金の引き出しができ、本件ではその使途につきいずれも原告にのみ支配管理されている。

(5)  肥料、農薬その他の資材買付も原告の名義でなされている。

(6)  その他農業に関する資金の調達、その他営業の方針決定について原告が支配している。

(7)  昭和四〇年当時、春光は二六才の独身、貞吉は一八才の独身の未成年者であり、いずれも農業を営むに十分な資質、経験を有しない。

春光は昭和四〇年当時、売薬業者である松井友二の使用人として一年のうち約半年間を静岡県下に居住して行商に従事していたものであるから一年の半ばを富山県に居住せず、不在で、しかも世帯もまだ持つていない独身の若年者なのであるから、農業の経営者というものではなく、実体は父である原告の農業の手伝いをしていたものと見るのが社会通念に合致する。

仮に春光が農業の経営者であるとすれば、原告とは別個に所得の確定申告をした際、春光は当時松井薬品商会よりの一二六、四〇〇円の給与所得があつたのであるから、当然右申告に合算して申告すべきはずであつたのに何ら右給与に関し申告かない。

貞古は昭和四〇年三月に上市中高等学校薬業科を卒業後、同年六月まで大阪の薬品会社に勤務していたものであり、また未成年者であるから民法上も親権者たる両親の保護の下に生活し、親権者の同意を得ない法律行為をしても取消される状態にあつたものであるから単独で有効な法律行為をなし得ない者を農業の主宰者、経営者と見ることは一般の社会通念からみても、とうてい肯認し得ない。

以上の各事実を総合すれば、被告が、原告が原告方の生計を主宰し、農業経営主体であると認定し、実質所得者課税の原則により、その農業所得がすべて原告に帰属するものとして課税した本件処分は適法である。

三 原告は所得税法(本件係争年当時のもの、以下同じ)一四三条に規定する青色申告書を提出せず、しかも農業所得に関する収支が必ずしも明瞭に記載されておらず農業所得計算上必要な収入および必要経費を明らかにすべき農業帳簿が完備されていないので正確な農業所得の把握ができないところから、所得税法一五六条に基づき「田畑所得標準表」を用いて推計した。

右の標準表とは金沢国税局において北陸三県管内における農業所得の収入と経費がおおむね中庸と認められる基準町村を選定して反当りの所得を調査し、そのうえ北陸三県の農業団体たる農業協同組合中央会の意見を徴して決定したものを参考とし、被告税務署長が管内の農業所得につき調査して農業団体等の意見を徴したうえ決定したものであつて適用地域の課税対象農家もほとんど右標準表によつて自ら確定申告をなしている実状にあり、精度のきわめて高い実態を反映するものといえる。

そこで被告税務署長は原告の実際の耕作面積を調べたところ別表(二)のとおりであつたから、以上により原告の農業所得、専従者控除による差し引き所得金額を計算すると別表(三)のとおりそれぞれ金一、四九三、〇〇〇円、金一、一五五、五〇〇円となる。

従つて、被告が、原告の農業所得額一、四二九、〇〇〇円、妻ツヤ子、春光、貞吉の専従者控除による差し引き所得金額一、〇九一、五〇〇円、所得税額一三〇、五〇〇円、過少申告加算税五、八〇〇円としてなした本件処分は、原告の前記所得額の範囲内においてなされたものであるから正当である。

四 なお、原告主張事実はすべて争う。

(被告の主張に対する原告の答弁および主張)

一 被告の主張二の事実は否認する。

被告主張の原告方の家族構成の点は認める。但し、春光、貞吉は原告とは世帯を別にするものである。

耕作面積は否認する。また春光、隆吉名義の土地については原告は耕作していない。

同(1) 、(2) の事実は否認する。

同(3) のうち、昭和四〇年当時貞吉に耕作名義がなかつたことは認めるが、貞吉は当時現実に耕作していたのである。

同(5) のうち、農薬の買付が原告名義でなされたことは認めるが、その余の事実は否認する。

同(6) の事実は否認する。

同(7) のうち、春光、貞吉の年令および独身であること、貞吉が昭和四〇年三月に上市高校薬業科を卒業後、同年六年まで大阪の薬品会社に勤務していたことは認めるか、春光は農閑期にのみ売薬行商に出ていたものである。

なお、春光が給与所得の申告をしなかつたとしても原告には何ら関係ないことである。

二 同三の事実中、仮に原告が昭和四〇年に春光、貞吉の土地をも耕作したとすれば原告の農業所得一、四二九、〇〇〇円、差し引き所得一、〇九一、五〇〇円となることは認め、農業所得の計算につき被告主張の標準表に基づいて計算することは争わないが、別表(二)の耕作面積については否認する。

三 春光、貞吉は原告とは別個のそれぞれ独立した農業経営主体である。

原告の昭和四〇年の耕作面積は田二町一反、畑二畝であり、これは昭和三九年と同一であるが同年分の所得税は八、六〇〇円であつた。なお昭和四〇年に原告が春光、貞吉の土地をも耕作していたとすれば農業所得一、四二九、〇〇〇円、専従者控除による差し引き所得は一、〇九一、五〇〇円となることは認めるが、春光、貞吉は以下に述べるとおり原告とは世帯を別にするそれぞれ独立した農業経営者である。

(1)  原告の長男稲生隆吉は原告とは別個に農業を経営していたが、健康上の理由で農業を営むことができなくなつたため、同人が耕作していた土地を春光と貞吉に耕作させることに当事者間の話し合いで決つた。

春光は昭和三九年から独立して田約四反六畝を耕作してきており、農閑期には売薬行商に出ていたが、昭和四〇年には隆吉が耕作していた田をも合わせて耕作するようになり、同人らは同年五月二日、暫定的に右事項の契約書を取りかわした。

貞吉は同年六月まで大阪で勤務していたが、その後隆吉の農業を引き継ぐため、冨山に戻り、農業を営むようになつた。同年七月四日には隆吉との間に暫定的に契約書が取りかわされ、昭和四一年七月五日には農業委員会から耕作権設定が認められた。

春光は昭和四〇年当時二六才の独身ではあるが、すでに昭和三九年には保有米のほかに三〇俵の供出米を出すなど、また貞吉は一八才の独身ではあるが、経験は浅いとはいえ、農家に育つた青年であり早くから原告らの農業の手伝いをしており、農業に関する知識も十分にあり、共に独立して農業を営む資質は十分ある。

(2)  春光、貞吉は隆吉の農業を引き継いだ際、その農機具等も隆吉から借り受け、従つて同人らは原告所有の農機具を使用していない。その管理も各自が行ない、修理代金等も各自が支払つている。貞吉は昭和四〇年八月に動力結束稲刈機を購入して以後それを使用している。

肥料、農業用資材、供出用米叺等それぞれ原告とは別個に購入して別個に使用し、それぞれの通帳で決済されている。但し、農薬だけは共同で買い入れ原告の通帳で決済し、後に精算している。

資金の調達もそれぞれが行い、春光らの資金調達に原告は何らかかわりない。春光は昭和四〇年三月に政府から農地取得金四〇万円を、貞吉は同年七月政府から米穀売渡しの前借りとして金八三、〇〇〇円をそれぞれ借りている。

収穫物の売却も各自で行つている。昭和四〇年の政府売渡し米は原告一六〇俵、春光六八俵、貞吉八三俵であり各自が代金を受け取つている。

組合への出資は原告五一口、貞吉は元、出資一口を有していたが一世帯一人ということで名簿から削られた。しかし昭和四〇年原告とは別世帯であることが認められて出資者名簿に載せられた。その後隆吉が有していた組合出資を春光、貞吉が譲り受け昭和四一年二月一五日その手続をなした。

農協預金等は各自の名義のものを各自が有し、これらは同一家族員であつても本人に無断で勝手に処分できないものである。農業共済水稲掛金等も別個に行つている。

(3)  春光、貞吉は昭和四〇年当時原告と同一家屋に居住していたが(後春光は結婚して原告とは別家屋に住むようになり、貞吉も家屋を新築してそこに住むようになつた。)、それぞれ別世帯であり、一般生活上も事業上も何ら原告の支配下にあるものではない。寄付金等もそれぞれ別個に出すし、祭礼等には各自が各自の来客の接待をし万雑費もそれぞれ別個に出している。但し、昭和四〇年度の万雑費は原告が一括して支払い、後に精算した。炊事設備は共同で使用するが、保有米は各自が有し、燃料費、電気代、肴代等も各自が負担し、その他生活上の物資購入もそれぞれの通帳で行われている。

(4)  昭和四〇年分の所得税についても春光、貞吉らに申告用紙を原告とは別個に送つてきており、春光らはそれぞれ納税している。

以上のとおり春光、貞吉はいずれも原告とは世帯を別にし、それぞれ独立した農業経営者である。

第三証拠〈省略〉

理由

一 請求原因第一項の事実については当事者間に争いがない。

もつとも、〈証拠省略〉によると、被告が昭和四一年五月一一日になした更正決定の際の更正額は、所得金額一、二〇四、〇〇〇円、所得税額一四四、二五〇円、過少申告加算税六、五五〇円であつたことが認められる。

二 ところで、原告は、原告の六男稲生春光、八男稲生貞吉が、それぞれ独立の農業経営主体であるにもかかわらず、原告の昭和四〇年分所得に右春光、貞吉両名の各所得を加算の上、これに対して課税したことは違法である旨主張するので、以下この点につき検討する。

〈証拠省略〉を総合すると、次の事実が認められる。すなわち、

(一) 原告の長男隆吉は、自己所有名義の農地一町三反八畝二一歩を有し、従前から原告とは別に舟橋村舟橋一四五五番地に世帯を構え、生計も完全に分離し、全く独立の経営主体として農業を営んでおり、従つて昭和三九年までは課税も別個になされていたが、隆吉夫婦の健康上の理由から、昭和四〇年六月、田の植付の終つた後、隆吉が富山市内の製糖会社に入社すると同時に同市内に居宅を移し、農業を廃業した。

(二) しかして、六男春光は東京の松井薬品商会に籍を置いて、売薬行商の仕事に従事し、昭和四〇年中に金一二六、四〇〇円の給与所得を得ており、そのため年間一五〇日前後は富山県内に居住しておらず、農業に専念できるような状態ではなかつた。一方、八男貞吉もまた同年三月、上市高校薬業科卒業と同時に大阪の藤沢薬品株式会社に入社して原告世帯から転出し、大阪市内に居住していた。そこで、隆吉は弟貞吉に対し、舟橋村に帰つて農業に従事してほしい旨再三にわたつて交渉したが同人は快くこれを承諾しなかつたので、原告が、前記会社に赴き直接貞吉に対し農業に従事するよう説得したところ、同人も農業に従事する決意をし、同年六月二〇日付で前記会社を退職して帰村し、兄隆吉が植付を終つた田畑を引継ぎ原告および売薬行商の合い間に帰省する春光らと共同して耕作することになつた。しかし、昭和四〇年当時は、隆吉と春光、貞吉との間において隆吉所有の農地につき、農地法三条による使用貸借または賃貸借契約が設定されていなかつた。また春光、貞吉は単独で農機具を所有していなかつたし、原告方に作業場は一つしかなく、原告および春光、貞吉の三名が原告または隆吉の農機具、作業場等をすべて共用していたものである。そして右両名が隆吉所有の農地につき富山県知事より農地法三条による賃借権設定の許可を受けたのは翌四一年七月五日(申請は同年六月二〇日)である。

(三) ところで、昭和四〇年当時、春光は二六才の独身者であり、原告居宅と別個に自己の居宅を有していたわけではなく、翌四一年六月結婚により新居を構えるまで、売薬行商から帰つてきた時の生活の本拠は舟橋村所在の原告方であり、原告らと起居、生計をともにしていたし、貞吉も同年三月高校を卒業したばかりの一八才の独身者であつて、前記のような経緯で舟橋村に帰り、農業に従事するようになつてから、翌四一年暮貞吉自身の居宅を新築するまで、原告らと同一家屋に居住して起居を共にし、原告と生計を一にしていた。

(四) また、昭和四〇年当時の原告方の住民登録によると、春光は世帯主原告と同一世帯になつており、貞吉は同年三月大阪に転出した後昭和四一年一月二五日原告の世帯に転入するまで、大阪に住民登録がされたままになつている。しかし、前記のとおり、貞吉は昭和四〇年六月末頃から引続き原告方に同居しているので、同年一〇月一日の国勢調査の際には、原告を世帯主とする原告世帯の家族構成は、原告のほか、その妻ツヤ子、六男春光、三女美和子、八男貞吉の五人とされていた。

(五) 右のような家族関係のため、原告らの居住する舟橋村の区長および付近住民らは、当時、春光、貞吉両名については原告の世帯員として取扱つていた。例えば、部落の万雑費(農村において世帯単位で徴収される雑費)についても原告のみからこれを徴収し、昭和四〇年分万雑費のうち、各戸の耕作反別に従つて課される分については、原告に対し四町三畝一九歩の耕作反別(但し、生産組合の反別帳による。隆吉所有名義の分も含む。土地台帳による耕作面積は四町九反三畝歩。)があるものとして賦課し、春光、貞吉両名からは耕作反別割の分はもとより各戸平均割の分についても一切万雑費を徴収していなかつた。

(六) また、舟橋村農業協同組合(以下農協と略称する)では、農家を組合員、非農家を準組合員とし、組合員としての出資関係については、一世帯一株主という方針をとつていたが、昭和四〇年一二月現在、原告方で農協の組合員資格を有するのは原告のみであり、原告は五一口(二五、五〇〇円)を出資していたが、春光、貞吉は出資分がなく、組合員資格もなかつたので購買関係の口座も設定されていなかつた。従つて、肥料、農業資材の買付けは全部原告の購買通帳、農協預金により決済されていた。右両名は翌四一年二月一五日に至り、始めて従前隆吉が農協に出資していた五五口(二七、五〇〇円)の持分のうち、春光において二〇口(一〇、〇〇〇円)、貞吉において二五口(一二、五〇〇円)を譲り受けて組合員資格を取得したものである。

以上の各事実が認められ、〈証拠省略〉のうち、右認定に反する供述並びに記載の部分は前掲各証拠に照らしてたやすく措信できないし、〈証拠省略〉も本件係争後に作成されたものと窺われるからにわかに信用できない。

以上認定の各事実を総合すると、昭和四〇年当時、春光、貞吉は、いずれも原告と生計を一にする同一世帯内の家族員にすぎなかつたというべきであるから、同人らがそれぞれ独立した農業経営主体であつたとは認められない。右認定に反し、原告と春光、貞吉は同一家屋に居住していても世帯は別であり、従つて三人はそれぞれ別個独立の農業経営主体であつたとする原告主張の事実に副う原告本人の供述は、前記認定に供した各資料に照らしてたやすく措信できず、その他右認定を覆えするに足る的確な証拠はない。

もつとも、〈証拠省略〉によると、昭和四〇年分の供米の予約は、原告方では原告、春光、貞吉の三名の名義でなされていること、農協には右三名の普通預金口座があり、各人の供米代金は、それぞれ各普通預金口座に振込まれていること、昭和四〇年分の所得税について、被告から原告のみならず春光、貞吉らに別個に所得税の申告書用紙が送付されてきたことが認められるが、前掲各証拠によれば、供米予約は本人の自由な申告に委されているものであつて、容易に名義を変更でき、これを受け付ける農協では本人の耕作権の有無等を特に調査したりなどしていなかつたこと、また、農協預金は部落住民が互いに顔見知りであるため、同一家族員であれば、他人名義の預金でも通帳の呈示により簡単に払戻しうる取扱いになつており、原告は自己の印鑑を使用して春光、貞吉名義の預金に振込まれた供米代金を自由に払戻したり、春光名義で借受けた農地取得資金の償還に充て、これを適用していたこと、さらに所得税の申告書用紙は本人から税務署に請求があれば誰にでも送付する建て前になつていることが認められる。従つて、右各事実はいずれも前記認定を左右する理由とはならない。

四 そこで、原告世帯における農業経営の主宰者すなわち原告らの農業所得の実質的帰属主体について検討する。

親子間における農業について、その事業主が誰であるかを判定するには、実質課税の原則に従い、農地の所有または耕作名義、米穀の売渡名義いかんにかかわらず、両者の職業、年令、知識経験の程度、農耕能力、農業資材の有無、耕地所有権または耕作権の所在等を総合勘案して、その農業の経営方針の決定等につき支配的影響力を有し、事業収益を実質的に支配享受していると認められるものが、当該農業の事業主に該当するものと解すべきところ、これを本件についてみるに、前記認定のとおり本件係争年度当時、春光は二六才で、売薬行商のため、年間半分近くは原告方に居住していず、従つて農業経営の方針決定等をなすには困難な状態にあること、また、貞吉は当時一八才で、高校卒業後直ちに就職し僅か三ケ月で帰郷したばかりであつて、従来から原告の農作業の手助けをしていたが、農業経営全般にわたる方針決定等をなしうるまでの知識経験を有していなかつたものと認められる。これに対し、原告は、当時六〇才をすぎたばかりで農作業に十分従事でき、長年の農業経験から的確な農業の基本方針を決定しえたであろうことおよび原告が生計の主宰者であつたことを併せ考えると、原告は農業全般についてこれを主宰し、農業経営の方針を決定し、現実に農業に関する収支計算の主体としてその経営を担当し利益を支配享受していたものであり、春光、貞吉らは単に原告の経営する農業に家族として協力し補助的に従事していたものと認めるべきである。

五 そうすると、原告は昭和四〇年当時、従来原告が耕作していた農地のほか、隆吉が耕作していた農地の耕作をも同人から引き継ぎ、台帳面積合計四町九反三畝歩を春光、貞吉および妻ツヤ子ら家族とともに耕作していたものというべきであるから、同年中の原告の農業所得には、春光、貞吉が得た農業所得をも加算すべきものというべきである。右のとおりこれを加算すると、原告の農業所得金額が一、四二九、〇〇〇円、妻ツヤ子、春光、貞吉の専従者控除後の課税所得金額が一、〇九一、五〇〇円となること、しかるに原告が係争年度の確定申告に際し、これを分離し農業所得金額四六七、五〇〇円、課税所得金額一五三、九〇〇円、所得税額一三、二〇〇円と申告したことは当事者間に争いがない。してみると、被告が昭和四三年五月一五日原告に対し、昭和四〇年分所得税として、右所得金額一、〇九一、五〇〇円、所得税額一三〇、五〇〇円、過少申告加算税五、八〇〇円と再更正決定したのは相当であつて何らの違法はない。

以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主のとおり判決する。

(裁判官 土田勇 大橋英夫 佐野久美子)

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